2014年1月1日星期三

【舩越園子コラム】「Matsuyama」の風刺ネタに思うこと




2013年11月11日12時15分






(Photo by Robert LabergeGetty Images)






 今週の米ツアーは開幕第5戦のマクグラデリー・クラシックが開催されていた。だが、この大会に対する日本の注目は限りなくゼロに近かった。なぜなら、言うまでもなく、石川遼松山英樹も出場していなかったからだ。

【意見募集中!】松山、石川の米国新シーズンがスタート どれだけ活躍できる?

 「日本人選手が出ていないんだから興味ないよ」と日本のゴルフファンが言ったとしても、それはまあ、そうなんだろうなあと頷ける。だが、米ツアーの新シーズンの開幕シリーズだと言うのに、お膝元の米国のゴルフファンが、いやいや肝心の米ツアー選手たちまでもが「興味ない」と言うようでは、米ツアーの先行きが心配になる。

 米ツアーは今年から大幅なシステム変更の実施に踏み切り、新たなシーズンの開幕時期が従来の1月から10月へ前倒しされた。そして、これまでは「フォールシリーズ」と呼ばれていた10月からの4~6試合が今年からは「シーズンオープニングシリーズ=開幕シリーズ」という名に改められた。それはもちろん、米ツアーに思惑、目的があるからこその大幅改革だ。

 しかし、初の試みである今年の現状は、米メディアによれば「惨憺たるもの」との酷評だ。ある米ゴルフ雑誌に、ちょっと嫌味を込めながら面白おかしく綴る風刺的な時評欄が設けられている。私はそこを読むたびに毎回くすっと笑ってしまうのだが、そこに、こんな下りを発見した。

 『米ツアーの新システム下の新シーズンはフライズコム・オープンから開幕したが、その大会の出場選手の中のトップランクは世界ランク30位(当時)のHideki Matsuyamaだった――結局、何にも変わってないね』

 さて、これがどういう風刺なのか、おわかりになるだろうか?

 そもそも、なぜ今年から米ツアーは10月開幕に変わったのか。「なぜなんですか?」と日本の記者陣からも何度も尋ねられたので、ここであらためてまとめてみよう。

 昨年まで、フライズコム・オープンから始まっていたフォールシリーズ数試合はシード落ちすれすれの選手たちが翌年の出場権獲得を目指して必死に戦う「最後の砦」だった。それゆえ、そんな瀬戸際の決戦にビッグスターが出場するはずはなく、シード確定レベル以上の選手にとっても「興味ない」「出場しない」大会だった。

 そんなフォールシリーズを暗い「最後の砦」から華々しい「新シーズンの幕開け」へ変えれば、これらの大会のイメージも変わるはず。フォールシリーズのときには付与されなかったフェデックスカップポイントも与え、優勝すればマスターズに出られるといった特典や魅力も与えれば、人気のなかったフォールシリーズが華々しい開幕シリーズになるはず。

 そうなれば、主要な選手、トップクラスの選手たちもこぞって出場し、人々の興味や関心も煽ることができ、よりビッグなスポンサーの獲得やテレビ中継の拡大につながるはず……それが、米ツアーの思惑だった。

 しかし、蓋を開けてみれば、開幕戦にトップクラスの選手たちの姿はやっぱりなく、世界ランクで一番上だったのは米ツアーメンバーになりたての外国人の松山だった。だからあの時評は「結局、何にも変わってないね」と皮肉って書いていたのだ。

 開幕シリーズはその後、マレーシア、上海へと舞台を移し、逆に米国を離れたその2試合には、お金の魅力やWGCタイトルの魅力もあったため、華のある米ツアー選手が多数出場して、関係者も胸を撫で下ろしていた。だが、開幕シリーズが米本土に戻った今週の大会は、またまた地味な顔ぶれへ。

 とはいえ、どんな改革も浸透するまでにはそれなりの時間がかかるもの。チェンジには移行期間が付きものだ。今年より来年、来年より再来年、開幕シリーズに出場するトップランクの選手たちが徐々に増えていけば、米ツアーが改革に踏み切ったかいはあったということになる。

 気になるのは、ネタとして使われたこの時評を、松山と彼の母国である日本の私たちは、どう受け取り、どう生かすべきかという点だ。

 「トップランクが日本人なんて、うれしい」「松山、すごい」という具合に、そのまんま、楽観的に受け取ることは、もちろんできる。

 だが、もしも、米ゴルフ雑誌から「バカにされた」「軽視された」「ふん!トップが松山で悪かったな」という具合に少しでも「チェッ!」と憤慨を感じたら、その憤慨を「今に見ていろ」「いつか見返してやる」という発奮材料にしてほしい。

 そして、世界でもトップクラスのあの日本人選手が米ツアーの開幕シリーズに出てくれるなんて「すごい」「うれしい」「これで米ツアーの改革は大成功だ」と米メディアに書かせるような、そういう存在になることを日本の選手も日本のゴルフ界も本気で目指そうではないか。そんなの夢物語だよ、無理無理とみんなが思えば、いつまで経ってもそれは夢のまま、無理のまま……。

 シニカル時評に見つけた「Matsuyama」の文字を眺めながら、そんなことを考えた。

文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

没有评论:

发表评论